西周金文を起こしてみた

「[害夫][白匕殳]」こう表記するしかないのか?
西周の厲王自作とされる青銅器の銘文。「[害夫]」が厲王の名として伝わっている「胡」に通じると考えられている。

王曰有余隹[小子]余亡[ウ康]晝
夜笒雍先王用配皇天簧
黹朕心墬于亖方肆余以
餯士獻民爯盩先王宗室
[害夫]乍[將鼎]彝寶[白匕殳]用康惠朕
皇文烈且考其各歬文人
其瀕才帝廷陟降緟繼皇
[上帝]大魯令用令保我家朕
立[害夫]位身阤阤降余多福宣卑
宇慕遠猷[害夫]其萬秂[將鼎]實
朕多禦用祈壽匄永令蔲
才立乍疐才下隹王十又二祀

王曰く、「余は小子なりと雖も、余昼夜を空しくすること亡く、先王を経雍し、用(もっ)て皇(おお)いなる天〔命〕に配す。朕が心を簧黹して、四方に達(およ)ぼせり。肆(ゆえ)に余は餯士献民を以(ひき)いて、先王の宗室を爯盩し、[害夫]は[將鼎]彝たる寶[白匕殳]を作りて、用て朕が皇文烈祖考より、其れ前なる文人に格(いた)るまで、其れ瀕として帝廷に在りて陟降するを康恵せん。皇いなる上帝の大いなる魯令を緟継し、用て我が家と朕が位と[害夫]の身とを令保せん。阤阤として余に多福を降したまい、大謀遠猷を宣導したまわんことを。[害夫]は其れ萬年、朕が多禦を将実し、用て寿を祈り、永命を匄(もと)めん。蔲(なが)く位に在りて、氐(もとい)を作り、〔天の〕下に在らん」と。惟れ王の十有二祀(ねん)のことなり。

二玄社の本とか参照しながら起こしてみたが、途中であきらめて簡略化した。上古の漢字をコンピュータ上に表記することはまだまだ難しいことだ。Unicodeの漢字も拡張されてきてはいるが、ワープロソフトやフォントのほうが追いつかないものなあ。