曹操の墓の石碑に「トイレ」

曹操の墓のネタは尽きないなあ。
赵超:曹墓中的“行清”谁能造假?(河南文物網)
http://www.haww.gov.cn/html/20100115/077319.html

趙超:曹操の墓の中の「行清」は誰が偽物を造れるのか?
趙超は我が国(中国)の著名な文字と碑刻の研究専門家だ。西高穴大墓の中から出土した石牌には、科学的な考古発掘の記録があり、これは直接の資料だと彼は言う。これらの考古発掘の証拠を除いたほかにも、私たちはその書体、刀工、文字の形体、字句の特徴の多方面から時代判定をすることができる。
趙超は言う:石牌上の字は隷書で、これには問題がない。私はいくつかの比較の典型となる例を挙げて時代区分を助けることができる。ひとつは魏武王の「魏」の字で、現代の私たちの書く「魏」の字と違い、「委」と「鬼」の2つの字のあいだに1個の「山」の字を加えられている。これは秦漢の時期に多く現れる標準的な書き方で、後漢の末期もこのような書き方であった。魏晋以後には姿を変えて、北朝の時期の「魏」の字は「山」の字が「鬼」の字の上に移った。もう少し遅くなると、この「山」の字は完全に消えてなくなった。私たちはこの字の書き方を通して、その時代を後漢から魏晋にかけての時期と判定することができる。
趙超は言う:これらの記録された遺物の石牌に相似した形態や書写内容は、一種の儀礼制度を体現していて、いかなる人であっても気軽に作ることはできない。ひとつの石牌の上に「木墨行清」と書かれている。現代の人の恐らく大部分が「行清」がどんなものかを知ることはない。「行清」は便所のことである。私たちはいくつかの史書の注釈の中から知っていることだが、後漢の中期から曹魏の中期にかけて、すべて便所を「行清」と呼んでいた。これはひとつ比較的良い時代区分の証拠となる。石牌は偽造ではないかという人がいくらかいるが、私はこの例証をもって、現代人は「行清」という言葉を捏造できるほど文化の水準と文献の水準は高くないと考える。あるひとつの石牌の上に「出圃床」という語があるが、出圃床とは何か?出圃とは一種の古代の賭博遊戯で、出圃床とは古代の賭博の棋盤である。文献の記載によると、出圃のようなゲームは後漢の初期に現れて、曹魏南北朝の時期にたいへん流行した。

ほかにも高陵の近くに甄皇后や陳留王曹奐の墓があるはずだと主張する先生が現れたり、
http://www.chinanews.com.cn/cul/news/2010/01-15/2073433.shtml
社会科学院の挙げた曹操の墓である6つの証拠は、河南文物局の挙げた6つの証拠とは内容がちょっと違ったりとか、
http://www.china.com.cn/culture/txt/2010-01/21/content_19281981.htm
ネタはまだあるんだけど、とりあえず今日はこのへんで。