『諸子百家』

湯浅邦弘『諸子百家』(中公新書
郭店楚墓竹簡(郭店楚簡)や上海博物館蔵戦国楚竹書(上博楚簡)、睡虎地秦墓竹簡(雲夢秦簡)や銀雀山漢墓竹簡(銀雀山漢簡)といった新しい出土文献の成果を取り入れた諸子百家論。

第一章 諸子百家前史―新出土文献の語るもの―
  • 諸子百家登場以前の春秋時代に『荘王既成』『平王與王子木』『昭王毀室』のような教訓説話があり、理想の王や太子の姿を語っていた。
  • 諸子百家登場以前の説話の書き手は思想家ではなく、王の重臣でも歴史家でもない、一介の士であった。
第二章 君子とは誰か―孔子の思想―
  • 「君子」は「従政」とほぼ同じ意味であり、国政に参与できる地位と身分を持つ人。
  • 儒家にとって、「君子」像と「孔子」像はほぼ重なって見えていた。
  • 孔子の思想には、外なる礼と内なる孝という二つのまなざしがある。
第三章 人間への信頼―孟子の思想―
  • 孟子性善説孟子の完全な独創ではない。
  • 郭店楚簡『性自命出』『成之聞之』に孟子荀子の性説の原型がみられる。
  • 郭店楚簡『唐虞之道』や上博楚簡『容成氏』に禅譲論がみられ、孟子の王朝交代論はその発展。
第四章 特異な愛のかたち―墨家の思想―
  • 墨子』にみえる墨翟の言葉は、砂を噛むような理屈の連続で、とても美文といえる代物ではない。
  • 墨子の説く兼愛は、はじめから博愛や平等愛を説いているのではなく、自己への愛と他者への愛に差別を設けないという主張。
  • 墨子の兼愛・非攻の理想は、天の意志(天志)であり鬼神の願い(明鬼)である。上博楚簡『鬼神之明』が墨家の著作として研究されている。
  • 墨子にとっての「忠臣」は、君主のいうがままに行動する臣下ではなく、君主の過失を諫め、善い意見を奏上する臣下。
第五章 世界の真実を求めて―道家の思想―
  • 上善は水の若し。『老子』は文明化・現代化への批判。
  • 馬王堆漢墓帛書の発見で、漢初には現行本『老子』にほぼ近いテキストが成立していたことが判明。
  • 郭店楚簡『老子』の3種のテキストをめぐっては、いまだ論争が続いている。
  • 荘子は世俗の認識と価値観を否定し、あらゆる判断を相対化する。世界の真実を正しく知るためには「大覚」の境地を必要とする。
  • 郭店楚簡『大一生水』上博楚簡『恒先』は、道家の文献。
第六章 政治の本質とは何か―法家の思想―
  • 韓非子』の「矛盾」のエピソードは、堯や舜の統治を理想とする儒家への批判。
  • 「守株」も、儒家を宋の農夫にたとえた揶揄。
  • 秦の軍爵律は、軍功をあげることで奴隷身分の者も庶民の位に上昇し、親族を解放することもできた。こうして秦は人々を戦争に駆り立てた。
  • 睡虎地秦墓竹簡の「語書」と南郡統治。南郡長官の騰が、法令に従わない民衆や官吏を処罰する通達を発布。
  • 睡虎地秦墓竹簡の「為吏之道」は、儒家とも法家ともいえる警句集。共同体の習俗や民衆の実情にも配慮している。
  • 法治と官僚体制はその後の統治のモデルとなったが、徳治と法治は結果的に折衷される形となった。
第七章 戦わずして勝つ―孫子の思想―
  • 銀雀山漢墓竹簡の『孫子』と『孫臏兵法』の出土により、『孫子』の成立事情が解明された。
  • 竹簡『孫子』13篇の最後は用間篇ではなく火攻篇であった。
  • 『孫臏兵法』は、『孫子』に見られない戦争の正当性の主張を述べた。
  • 『孫臏兵法』は、士卒集団を「纂卒力士」と「衆卒」に分け、纂卒力士を手厚い恩賞で奮起させるよう説いた。
終章 諸子百家の旅。
  • 臨淄古車博物館−斉国歴史博物館−東周墓殉馬坑博物館−斉の四王墓−管仲博物館−孫子故園−山東省博物館−泰山玉皇廟−孔子廟墨子博物館−銀雀山漢墓博物館

ところで…、南郡長官の騰ってこいつじゃないだろうな?

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

キングダム 4 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 4 (ヤングジャンプコミックス)