清華大が『尚書』の佚篇やら『竹書紀年』に似た何かを収蔵したという話

清華大研究チーム、寄贈品から2千年ぶりに「尚書」を発見!―中国(レコードチャイナ)

2009年4月25日、清華大学が入手した戦国時代中期〜後期のものとみられる2300枚余りの竹簡(ちくかん)の中から、2000年以上所在不明だった「尚書」のほか、「編年体史書」などが発見されたことが明らかになった。北京晩報が伝えた。

竹簡(「清華簡」)は同大の卒業生が海外で購入し、昨年7月に寄贈した。戦国時代中期〜後期(紀元前305〜同250年ごろ)のものと鑑定されている。25日、同大は数か月に及ぶ整理作業を終えて、計2388枚(破損しているものを含む)の鑑定結果を報告した。

同大の李学勤(リー・シュエチン)教授によれば、清華簡の大半が歴史をひも解く貴重な文化財であり、その中には2000年以上所在不明だった「尚書」が含まれる。秦代の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)の際、「尚書」の多くが散逸したと伝えられている。また、西周初期〜戦国時代前期の事柄が記載されている「編年体史書」も発見されており、その体裁は「竹書紀年(ちくしょきねん)」に類似しているという。このほか、未発見の周武王時代の「楽書」が見つかっている。

同大は同日、出土文献研究・保護センターの設立を発表した。清華簡の全面解読と整理を目的としており、国内外の専門家に協力を呼びかける意向を示している。

レコチャイの記事を書いた翻訳者はなんか勘違いしてそうですが。
『尚書』は、五経のひとつで日本人にとっては『書経』と言ったほうが通りがいいでしょう。伝世過程がややこしいので、テキストの信頼性も含めて、むかしからカンカンガクガクのシロモノ。
その『尚書』の佚篇が竹簡で出てきたという話。かてて加えて『竹書紀年』に似た「編年体史書」ってなんだ?周武王時代の「楽書」って、もしや『楽経』ではあるまいな?なんか記事を見た瞬間にwktkしてしまったので、ネットでいろいろ情報収集してまとめてみました。

1.発見された『尚書』の佚篇は、「保訓」という仮題がつけられている。全篇は11支簡。1支簡ごとに22ないし24個の文字。そのうちの第2支簡の上半分が失われている以外はほぼ完全。「保訓」は周の文王の武王に対する遺言。裏面には堯舜と殷の祖先の上甲微の伝説を記載。
2.周の武王のときの楽詩。14支簡。ほぼ完全。周の武王八年に耆国を征伐して周都に凱旋し、文王の宗廟で「飲至」の典礼をおこなった。武王・周公・畢公・召公・辛甲・師尚父らの人物が登場し、典礼中で酒を飲んで詩を賦した。現在の『詩経』の「蟋蟀」の詩と関連あり。
3.年代測定によると、紀元前305年プラスマイナス30年。ということで、レコチャイ記事の「紀元前305〜同250年ごろ」というのは間違い。
4.『竹書紀年』に似た「編年体史書」の情報はあんまなかった。これがいっちゃん面白そうなのに。残念。

http://wenming.cn/2009-04/27/content_16358989.htm
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2009-04/25/content_11256727.htm
http://news.xinhuanet.com/internet/2009-04/13/content_11177512.htm
http://zhen.wenming.cn/gxt/content/2008-12/01/content_7842.htm
http://www.wenming.cn/2008-11/17/content_14935365.htm
http://news.tsinghua.edu.cn/xcb/news.php?id=20356