樊噲冠

まずは項羽と劉邦のお話。劉邦(のちの漢の高祖)が秦の都の咸陽を落とした後、函谷関を閉ざしたため、怒った項羽は函谷関を攻撃して関中に入ります。そこで項羽と劉邦の和解のために「鴻門の会」が開かれます。項羽の参謀の范増はこの機会をとらえて劉邦を謀殺しようとしますが、劉邦の臣下の樊噲が宴席に乱入して項羽とわたりあい、劉邦の命を救います。
鴻門の会」のエピソードは有名なので、樊噲の名もそれなりに知られていると思いますが、今回は樊噲の名のついた冠のお話です。

後漢書』輿服志下

樊噲冠、漢將樊噲造次所冠、以入項羽軍。廣九寸、高七寸、前後出各四寸、制似冕。司馬殿門大難衛士服之。或曰、樊噲常持鐵楯、聞項羽有意殺漢王、噲裂裳以裹楯、冠之入軍門、立漢王旁、視項羽

ここに異説として載せられている部分がとくに面白いです。
テキトーに訳すと、「ある人が言う。樊噲はいつも鉄の楯を持っていた。項羽が漢王(劉邦)を殺そうとしていることを聞くと、樊噲は裳裾を裂いて楯に裏貼りした。これを冠にして軍門(鴻門の会)に乗りこみ、漢王の横に立って項羽に会った」ということです。
このことは『史記』や『漢書』に出てきません。樊噲列伝では樊噲は「鉄の盾を持って入った」わけですし、項羽本紀では「その盾をそば立てて、衛士を突きたおした」ことになっているからです。樊噲が鉄の盾を冠にしたのは、後世に付加された伝説でしょう。
「樊噲冠」がどんな形のものか正確には分かりませんが、に似ているということです。
同様の記述は、『晋書』輿服志、『宋書』礼志五、『南斉書』輿服志、『隋書』礼儀志六などにも見えます。