孫呉の喩襜

三国時代のニュースなりー。
江西省南昌市の梅湖古墓の主は鄭の桓公の後裔(中国网)
江西省省都・南昌市の梅湖古墓から墓誌が出てるみたいです。

呉故尚書左丞豫章國海昏縣
都郷舉里喩襜字子裕年五十三
以天紀二年卒葬于本縣旧墓西接
蕭条不安以咸和七年十一月壬子朔廿四
日改葬南昌縣南出廿里漢故聘士
徐稚墓之南一里襜之先出自有周
桓公友之胄裔也

喩襜(諭襜?兪襜?)って人は、正史には見えませんね。
墓誌によると、字(あざな)は子裕、豫章国海昏県の人みたいです。
呉の天紀二年(278)に53歳で亡くなっているということは、226年生まれですね。
東晋の咸和七年(332)11月24日に、南昌県の南20里、漢の徐稚の墓の南1里のところに改葬されたんだそうです。
喩襜さんは周代の鄭の桓公友(在位前806-前771)の後裔を名乗っていたみたいです。

ちなみに漢の徐稚って人も誰だろう?と思ったら、『文選』30巻の注に謝承『後漢書』を引いて「徐稚、字は孺子、豫章の人…」ってあるから、多分この人だと思うんですが、どーなんでしょー。徐孺子で検索すると、高士で知られてた人みたいです。