「不老」の思考実験

これはSFでもなんでもなく、人類社会が続く限り、純技術的な意味での「不老」(不死ではない)はいずれ実現するだろう。その「不老」技術が仮に実現して即座に大衆のものになるかも、また別問題だが、とりあえず端に措いておくこととする。
人類の多くが「不老」となったときに発生する問題には、社会構造の変化や食糧・エネルギーなど、社会問題や環境問題がまず考えられるが、これもまたアポケーしておこう。
人類が「不老」となったとき、内面的な問題のほうもやはり深刻となる。
退屈だとか、無限の時間に耐えられないとか、ありきたりなことは言うまい。人生が長ければ、創造すべきリソースと消費するリソースは増大する。人間の欲望が増大すると言い換えてもよい。退屈など、さしたる問題にならない。(個人的な話だが、今やりたいことを究めようと思ったら人生が一千年あったって足りないなあと思う今日このごろ)
人類が「不老」となったとき、世代交代のたびごとに新しい世代に初等教育を施さなければならないコストが減少する。知識や経験は一個人の中にも社会の中にも(あるいは電脳空間の中にも)蓄積され、カタストロフによってリセットされにくくなる。これは大した利点である。しかし知識や経験は良いものばかりではない。トラウマやPTSDだって蓄積されるのである。長く生きるほど、人は経験とともにトラウマを蓄積し、精神は硬直化する。一千年分のトラウマにがんじがらめにされて、一個人はなおも新しいことに挑戦し続けられるだろうか?
肉体は老いることがなくとも、精神は老いるのだ。それを避けるには、人格操作や精神操作が不可避となる。一個人の死に匹敵するアイデンティティ・クライシスがそこに生まれるだろう。

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不老不死への科学
Amrit不老不死研究所

蛇足:不老不死への欲望と現実の環境を調和させるには、やっぱり電脳空間上で無限の時間を生きる人類…って方向になってしまうのだろうか。発想がサイバーパンクSFを抜け出られないわな、自分。