2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

骸骨を乞う

漢籍史料に頻出する表現で、「乞骸骨」というのがあり、辞職を願い出るという意味である。大仰に見えるが、老骨を返していただきたいという謙譲表現である。初めて読む現代人は面食らうだろうが、漢籍史料を読むときの重要度は極めて高く、必須知識といって…

秦の妃

唐の徐堅『初学記』巻10儲宮部太子妃第四に「周以天子之正嫡爲王后,秦稱皇帝因稱皇后,以太子之正嫡稱妃,漢因之」(周は天子の正妻を王后とし、秦が皇帝を称すると、皇帝の正妻を皇后と称した。太子の正妻を妃と称し、漢はこれを継承した)とある。宋の李…

周鼎泗水伝説

『春秋左氏伝』宣公三年に「楚子伐陸渾之戎,遂至于雒。觀兵于周疆。定王使王孫滿勞楚子。楚子問鼎之大小輕重焉」(楚の荘王が陸渾の戎を伐ち、雒にまでいたった。周の疆域で兵を観閲した。周の定王は王孫満を派遣して荘王を労わせた。荘王は周の鼎の大小軽…

中国の僧旻

遠山美都男『新版大化改新』(中公新書)を読んでいたら、p.202に 「僧+某」という僧名は南北朝時代の中国に多く見られたものであった。仏教信仰に傾斜して王朝を滅ぼしたと言われる梁(南朝第三の王朝)の武帝に仕えた僧侶の僧旻は有名である。「国博士」…

白司馬坂の大像

『仏祖統紀』巻39「久視元年四月,詔斂天下僧尼日一錢,作大像於白司馬坂」『資治通鑑』巻207長安四年夏四月条「太后復稅天下僧尼,作大像於白司馬阪,令替官尚書武攸寧檢校,糜費巨億」『旧唐書』張廷珪伝「則天稅天下僧尼出錢,欲於白司馬坂營建大像。廷珪…

「分配」はたぶん和製漢語じゃない

漢語的には動詞的用法しかないことと、「分けて配る」だけではなく、「分けて配置する」「分けて派遣する」の意味も持っていることには注意が必要だが、古い漢籍に用例は多数あり、和製漢語と主張するのは苦しい。もちろん名詞的用法が古典には存在しなかっ…

曹触竜と左師触竜

『荀子』臣道篇に「若曹觸龍之於紂者可謂國賊矣」という一節がある。金谷治訳注『荀子(上)』(岩波文庫)p.292の訳を引くと、「曹触竜が殷の紂王にとりいっ〔て亡国におとしいれ〕たのなどは国賊というべきである」とある。 また『荀子』議兵篇に「微子開…

曹魏南部君墓誌

君諱陵,字子皐,天水冀人也。以漢建安八年春正月七日癸巳生,魏景初三年夏五月十二日丙申遭疾而卒,年卅有七,冬十有二月葬于此土。君之祖父,故上計掾,察茂才,四城令,張掖太守。伯父武陵□城太守。父舉孝廉賢良方正,察茂才,高平令,司空府闢舉茂才,槐…

陳慶之は頑張りすぎたという話

陳慶之の北伐について、以前Twでテキトーに語った(騙った)ログまとめ。 元顥を立てて北伐したときの陳慶之は7000人ほどを率いてたことになってる。実数が正しいかどうかは分からないけど、陳慶之の将軍号の「飈勇将軍」は『隋書』百官志上の序列を見る限り…

どうして肉を食わないのか

『晋書』孝恵帝紀に「及天下荒亂,百姓餓死,帝曰,何不食肉糜」(天下が混乱し、民衆が餓死するにおよんで、恵帝は「どうして肉粥を食わないのか」といった)とあるのはそれなりに知られているが、 『金史』世宗紀に「遼主聞民間乏食,謂何不食乾腊」(遼主…