2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

翁仲

かつて書いた「始皇帝の銅人」を承けて、銅人話の変奏をば。始皇帝の鋳造させた巨大な十二金人(銅人、長狄人)は、後漢末の董卓によりその10体まで破壊され、銅銭の資材にされてしまったことは前述した。 『晋書』五行志上は次のように言っている。「景初…

秦の敬公

以下の話にオチはないし、未知の情報は含まれない。 『史記索隠』秦本紀に「又紀年云簡公九年卒,次敬公立,十二年卒,乃立惠公」とあり、同秦始皇本紀に「王劭按紀年云,簡公後次敬公,敬公立十三年,乃至惠公」とある。 史記三家注のひとつ『史記索隠』が…

ローマ帝国の商人「秦論」は孫権と会見したか

『梁書』諸夷伝や『南史』夷貊伝上にみえる秦論は黄武五年に交阯にやってきて、太守呉邈に送られて孫権と会見したことになっているが、孫呉の黄武五年の交阯太守は士燮もしくは陳時であって、呉邈なんて人物の入る余地はないし、この話自体を疑うべきではな…